家に帰ったら、妻があなたは誰ですかと言った。
悪夢の中の台詞ではありません。
2026年7月5日にスタートしたテレビ朝日系日曜夜10時15分のドラマ『マイ・フィクション』は、そんな状況が第1話からあっさりと現実として起きてしまう作品です。
玉森裕太さん主演、舞台は犯罪ゼロを誇る不気味なほど平和な町。「原作の漫画や小説があるのでは?」「最終回はどうなるの?」という疑問を抱えたまま毎週観ている方も多いのではないでしょうか。

この記事では、第1話のあらすじを整理したうえで、原作の有無と脚本家の作風、最終回に向けた考察仮説まで一気にお届けします。
先が読めないからこそ怖い、完全オリジナル脚本の面白さと一緒にどうぞ。
- 『マイ・フィクション』の第1話あらすじ
- 原作(漫画・小説・韓国ドラマリメイク)の有無
- 脚本家・山岡潤平さんの作風と本作のテーマ
- 最終回に向けた主要な考察仮説
- オリジナル脚本だからこそ楽しめる「誰もネタバレを知らない」視聴体験の意味
『マイ・フィクション』あらすじ ネタバレで振り返る衝撃の展開
第1話「転落事故」から始まる存在消去のあらすじ

主人公の伊川正樹(玉森裕太)は、事件件数ゼロ・連続1100日達成を誇る平和すぎる町「森沼ネクスタウン」で暮らす介護士です。
老人ホーム「はるなぎ園」で穏やかに働きながら、結婚6年目の妻・真弓(宮澤エマ)と文鳥のピョートルとともに、文字どおり絵に描いたような幸せな日常を送っていました。
「……この幸せが崩れるまで、1話も要りませんでした。」
ある日、伊川は帰り道で謎の男・津村大輔(野村周平)と目が合った瞬間、激しい頭痛に見舞われます。
身の危険を感じた伊川は逃げ出しますが、よろめいて川へ転落し、そのまま意識を失ってしまいます。
1週間後、病院のベッドで目を覚ました伊川が自宅へ戻ると、そこには自分になりすまして暮らす別人がいました。

なりすまし男の正体は、なんと介護施設の同僚だった多田義孝(ジャンボたかお)。
「玉森裕太がジャンボたかおに入れ替わるの……?」という視聴者の混乱は、第1話放送直後のXでかなり広まっていました。
しかも妻・真弓も職場の同僚も、誰一人として伊川のことを覚えていません。
多田が「伊川正樹」として認識されている。伊川の記憶や感情は完全に残っているのに、社会の側がひとりの人間の存在をまるごと書き換えてしまっている。
そこが、このドラマのいちばん怖いところだと感じました。
途方に暮れた伊川が頼ったのが、転落事故後に病院で偶然出会ったシングルマザーの二宮由梨(森川葵)です。
由梨は伊川の話を真剣に聞いてくれる、唯一の存在でした。
そして第1話のクライマックス。カメラが由梨の部屋を映したとき、画面には2年前に事故死したという彼女の夫の遺影が映し出されます。
「……その顔が、伊川と瓜二つだったのです。」

伊川が由梨のアパートを訪れたわけではありません。カメラがただそこを映した、それだけのことです。それだけのことなのに、画面から目が離せなくなりました。
登場人物の相関と「誰が信頼できるか」がわからない構造
このドラマの緊張感は、敵と味方の境界線がまったく見えないことにあります。
整理すると、主要な登場人物は以下のような関係性を持っています。
- 伊川正樹(玉森裕太):介護士。存在を消された主人公
- 伊川真弓(宮澤エマ):正樹の妻。事故後は多田を「夫」と認識している
- 二宮由梨(森川葵):シングルマザー。正樹を助けるが、夫の遺影が正樹と瓜二つ
- 津村大輔(野村周平):7年間服役していた前科者。正樹の転落事故に関与している可能性大
- 香坂睦美(国仲涼子):謎の刑事。津村が出所した直後から彼に寄り添っている
- 多田義孝(ジャンボたかお):正樹に成り代わった人物。施設長として「伊川正樹」を名乗っている

由梨が正樹に強い視線を向ける理由
津村が「伊川を見つけました」と刑事の香坂に報告する意味。
多田が自ら進んで成り代わったのか、それとも仕組まれたのか。
「誰を信じればいいかわからない」という感覚のまま、次の話へ引き込まれていく設計になっています。
森沼ネクスタウンという「管理された平和」の違和感

第1話の伏線でいちばん大きいのは、「森沼ネクスタウン」という町そのものだと感じています。
事件ゼロが1100日続く完璧に平和な町。それなのに、ひとりの住民の存在がまるごと書き換えられても、町の秩序は微塵も揺れません。
「……この平和、ちょっとおかしくないか。」
そこに、月に一度の無料定期検診が絡んできます。
伊川が転落事故の当日も受診していたこの検診が、単なる健康管理ではない何かとつながっているのではないか。そう疑い始めると、町の「平和さ」がじわじわと気持ち悪く見えてきます。
「平和すぎる町=何かが管理されている」という構図は、視聴者のあいだでも最も盛り上がっている考察です。
【コラム】「犯罪ゼロの理想都市」はなぜ怖いのか
原作なしの『マイ・フィクション』ネタバレ考察と最終回の結末を予想する
原作は漫画・小説・韓国ドラマリメイクではない

結論からいうと、『マイ・フィクション』に原作漫画や小説、韓国ドラマのリメイクは存在しません。
公式情報によると、山岡潤平さんによる完全オリジナル脚本のサスペンスラブストーリーとして企画されています。
「雰囲気が韓国ドラマっぽい」「NetflixのSFサスペンス的な世界観だから、WEB小説や韓国漫画が原作では?」という予想が放送前からSNSで見られました。でも、それも含めて日本オリジナルです。
「……ということは、正解を知っている人間がこの世にいない、ということでもある。」
これが、原作ありドラマとの根本的な違いです。
【コラム】原作なしドラマがSNSを熱くする理由
近年、原作ありドラマが「改変」をめぐって批判を受けるケースが続きました。その反動なのか、完全オリジナル脚本ドラマへの視聴者の信頼と期待が高まっている気がします。
原作がないということは、毎週Xの考察がそのまま「公平な予想」として楽しめます。正解を先取りできる人間がいない分、全員がほぼ同じ立場で謎を追えるのです。
それが、このドラマのSNS熱を高めている理由のひとつではないでしょうか。
脚本家・山岡潤平の作風からドラマの結末を読む

本作の脚本を手がけているのは、山岡潤平さん(1983年生まれ)です。
山岡さんは「世にも奇妙な物語」でドラマ脚本家としてキャリアをスタートさせ、「GTO」シリーズ、「GTOリバイバル」(2024年)、「フォレスト」(2025年)、「プライベートバンカー」(2025年)などを手がけてきた、テレビ朝日系との縁も深い脚本家です。日本脚本家連盟スクールの講師でもあります。
Wikipediaの人物紹介によると、山岡さんは「人物造形には球体をイメージしており、人間は今見えている部分と相反するものも持ち合わせており、軸が変わることでまた違う面を見せるもの」と考えているとのこと。
「……これ、かなり重要なヒントだと思います。」
「今の伊川が悪で、別の視点から見た伊川が別の顔を持つ」可能性。または「なりすまし男の多田にも別の内面がある」可能性。
人物の「別の面」が物語の転換点になる設計を好む脚本家だとすれば、単純な勧善懲悪で終わる結末にはならないはずです。
また、「GTOリバイバル」が現代のSNS問題(暴露系インフルエンサー)をテーマとして取り込んでいたように、山岡脚本は「今の社会が抱える問題」を物語の核に置く傾向があります。
「記憶の書き換えで平和な町を維持する」という設定も、監視社会や情報操作といった現代的な問いと直結しています。
その読み方をすると、最終回で正樹が「選ぶ」のは、元の生活への帰還ではなく、自分なりの真実かもしれません。
なりすまし男の正体と「記憶書き換え」仮説3選
現時点での有力な考察仮説を整理してみます。あくまで1話情報と公式発表をもとにした予想です。
説1:正樹こそが本来の”偽物”だった(記憶植え付け説)

月に一度の無料検診を通じて、住民の記憶が少しずつ「調整」されていたとしたら。正樹が信じている結婚生活や日常そのものが、植え付けられた記憶に基づいている可能性があります。
第1話で正樹の自宅のセキュリティがあっけないほど甘かったのも、「そもそも正樹の家ではなかった」から、という読み方もできます。
説2:津村大輔が黒幕の組織犯行説

7年間服役していた前科者の津村が出所した直後に現れ、伊川の転落事故と接触している。津村が刑事の香坂に「伊川を見つけました」と報告しているシーンは、津村が組織の末端として動いていることを示唆しています。
森沼ネクスタウンを管理する何らかの組織が、不都合な存在を消しているというシナリオです。
説3:妻・真弓が自らなりすましを受け入れた(意図的黙認説)

真弓が「見知らぬ男」として正樹を突き放すシーンは、演技であった可能性も否定できません。
何らかの理由で正樹の存在を消すことに加担しているとしたら、最終回に向けて最も感情的に重い展開になります。
ラブストーリーの側面から見ると、「愛した相手に裏切られた、でもその相手を愛している」という矛盾が物語の核心になりそうです。
どれが正解に近いか、まだ誰にもわかりません。それがオリジナル脚本の面白さです。
最終回の結末予想 タイトル「マイ・フィクション」が意味するもの

「フィクション(fiction)」を日本語にすると、「虚構」や「作り話」という意味になります。
タイトルに「マイ(私の)」がついていることで、「私の虚構」「私だけの作られた世界」というニュアンスが生まれます。
「……じゃあ、正樹が信じてきた人生は、誰かが作った”私の作り話”なのか?」
この問いへの答えが、最終回のテーマになると思っています。
考察記事の中には、「正樹が最終的に元の生活へ戻るというより、作られた幸せの正体を知って、自分の意思で新しい道を選ぶ」という読み方があります。
これは脚本家・山岡さんの「人物の軸が変わることで別の面を見せる」という作風とも一致します。
また、別の見方もあります。仮に正樹の記憶がすべて植え付けられたものだったとしても、そのなかで育まれた真弓への愛情は本物の感情ではないか。
フィクション(虚構)の中で芽生えた感情が、やがてリアル(現実)を超えるという逆説。それこそが、タイトル『マイ・フィクション』が最終回で明かそうとしている意味ではないかという考察があります。
サスペンスとして始まり、ラブストーリーとして着地します。そのふたつが最終回で交差したとき、タイトルの意味がガラッと変わります。そういう作品の匂いがしてなりません。
まとめ:原作なしだから怖い『マイ・フィクション』あらすじ・最終回
改めて、この記事でお伝えしたことを整理します。
- 第1話は「妻・同僚・職場すべてから存在を消された伊川が、なりすまし男・多田義孝を目撃し、由梨の夫の遺影が自分と瓜二つだった」という展開
- 原作漫画・小説・韓国ドラマリメイクは存在せず、山岡潤平による完全オリジナル脚本
- 脚本家・山岡潤平は「人物の球体的造形」と「現代社会への問い」を得意とするキャリアを持つ
- 最終回の結末予想は「記憶植え付け説」「組織犯行説」「妻の意図的黙認説」の3説が有力
- タイトルの意味は最終回でガラッと変わる可能性がある
玉森裕太さんはこの作品の台本を読んで思わず「なんだこれは!?」と言ったと公式インタビューで語っています。
その感覚は、第1話を見た視聴者の多くが共有している感覚だと思います。原作がないということは、毎話放送後に全員が同じ立場で考察できるということです。
「正解を最初に知っているのは、脚本家の山岡さんだけ。」
この記事も各話放送後に随時更新していきます。
※本記事の最終回予想・考察はすべて公式発表済み情報と第1話放送内容をもとにした筆者の独自見解です。実際の放送内容と異なる場合があります。最終回放送後に確定版へ更新予定です。



映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』や小説『1984年』でも繰り返し使われてきたモチーフがあります。「完璧に管理された平和な街」という設定です。
人間が恐怖を感じるのは、暴力からだけではありません。「自分の意思の外で最適化された世界」に気づいた瞬間の、あの奇妙な冷たさからも恐怖は生まれます。森沼ネクスタウンが怖いのも、きっとそれと同じ理由だと思います。