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気になる結末を先読み!もしがく最終回のあらすじ予測と久部が探し続けた「楽屋」の正体を徹底解説

衝撃の結末?「もしがく最終回」のあらすじをネタバレで徹底解説 ドラマ

三谷幸喜さんが25年ぶりに民放GP帯の連ドラ脚本を手がけた『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(もしがく)。主人公の久部三成(菅田将暉さん)は、シェイクスピアの悲劇要素を背負っており、最後に「マクベス」になってしまうのか。

第6話では久部の軽率な行動でうる爺(井上順さん)が事故に遭い、劇団解散の危機を迎えました。視聴率は苦戦していますが、コアなファンは三谷脚本の哲学的な深さに魅了されているみたいですね。

この記事では、もしがくの最終回とあらすじを徹底予測。久部の破滅的な運命と、豪華なキャストたちが迎える未来を大胆に考察します。

この記事でわかること
  • 久部三成が辿る「マクベス」化の悲劇的な運命
  • タロットカードが示す破滅の予兆
  • 「楽屋」というタイトルに隠されたメッセージ
  • 視聴率苦戦の裏にある三谷脚本の真価
  • 豪華キャスト陣の波乱に満ちたエピソード
  • 原作と主題歌から読み解く最終回の結末予測

気になる結末を先読み!もしがく最終回のあらすじ予測と久部が探し続けた「楽屋」の正体を徹底解説

気になる結末を先読み!もしがく最終回のあらすじ予測と久部が探し続けた「楽屋」の正体を徹底解説

1984年の渋谷・八分坂(はっぷんざか)を舞台に、蜷川幸雄氏に憧れる演劇青年の久部三成(菅田将暉さん)が巻き起こす熱狂と挫折の青春群像劇です。

久部の結末は「ハムレット」から「マクベス」への進化

主人公である久部は、シェイクスピアの三大悲劇の要素を背負っていると、三谷幸喜さん自身が明かしています。久部が最後に「マクベス」になるという予言は、ただのハッピーエンドでは済まされないことを予感させます。

マクベスは魔女の予言に唆され、王座への欲望から破滅を迎える将軍の物語。久部が理想の演劇(王座)を追求するあまり、周囲を巻き込む独善的な行動(暴政)をエスカレートさせることを示唆しています。

第6話で、久部の軽率な行動が原因でうる爺が事故に遭いました。久部が衝動的に「劇団は解散だ!」と叫んだシーンは、まさにマクベス的な悲劇の連鎖そのもの。

このシーンを観たとき、「ああ、久部の暴走が始まったな」と思いました。久部の野心と未熟さが、仲間を傷つける展開になっていくのかと…。

タロットカード「愚者」と「世界」が示す破滅の予兆

八分坂の無料案内所の「おばば」(菊地凛子さん)は、久部にとって運命の導き手です。彼女が引くタロットカードは、久部の未来を暗示する暗号か。

タロットカード位置逆位置の意味(久部への示唆)
愚者
(The Fool)
逆位置未熟さ、無責任、軽率な判断
勢い任せの久部の行動が災いを招く
世界
(The World)
逆位置未完成、失敗、調和の欠如
久部の理想が最終的に「達成」されない

特に「愚者」の逆位置は、久部が持つ「甘さ」や未熟さが舞台への旅路に影を落としていることを示しています。久部が演出家として有能なのか、それとも自意識過剰のポンコツなのか、いまだに判断がつかないのはこの「愚者」の側面が強いからでしょう。

「世界」の逆位置が示すように、久部が築き上げたものが未完成なまま、あるいは不完全な調和の中で終わってしまう可能性が高い。もしがくの最終回は、久部が大きな挫折や破滅を経験し、理想の演劇という目標が未達に終わる結末を示唆していると言えます。

「楽屋はどこ?」タイトルの謎解きと三谷幸喜が仕掛ける”自分探し”の終着点

ドラマのタイトル「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」は非常に長く哲学的。この問いかけの答えこそが、物語の真のテーマです。

シェイクスピアの言葉と「楽屋」の二重の意味

このタイトルは、シェイクスピアの喜劇『お気に召すまま』の有名なセリフ「この世はすべてひとつの舞台、男も女も人はみな役者に過ぎぬ」を意識してつけられています。

このセリフは劇中では脇役のジェイクイズが語ったもので、彼は人生を七つの時代に分けて役者に例えました。

しかし、久部が探しているのは「舞台」じゃなく「楽屋」。楽屋とは役者が仮面を脱いで素顔に戻る場所、つまり「現実に帰る場所」という意味合いがあるわけです。

  • 久部の楽屋説1(終焉)
    演劇にケジメをつけ、演劇人という仮面を脱ぎ、裏方や別の道に進む場所
  • 久部の楽屋説2(始まり)
    初日の失敗を糧に、真の演劇人として覚醒し、舞台に立ち続けることを決意する場所

私がいろいろと調べた感じだと、ジャズ喫茶のマスター風呂須太郎(小林薫さん)のセリフが、久部の「楽屋」の場所を示唆しているのかもしれません。

「みんな大人なんだ。自分の人生自分で生きてるだけ。あんたがいちいししょい込むことじゃない。劇団ってのはそういうもんですよ」

久部は周りの人生を背負い込もうとします。でも風呂須さんは「他人の落ち方に気を取られるより、自分の上り方に気をつけろ」という冷徹な真理を伝えているんです。

久部が最終的に「舞台」から離れ、「裏方」や「脚本」という立場で演劇という夢に区切りをつけること。それが久部の「楽屋」なのかなと思います。

再生の演目「冬物語」が示す最終回の希望

久部が第7話から上演を決めたのは、シェイクスピア後期の名作「冬物語」。これは破滅的な「マクベス」の流れを食い止める重要なメッセージが込められた演目です。

「冬物語」は、嫉妬のあまり家族を破壊したシチリア王が、20年後に家族との和解と再生を果たす物語。

シェイクスピア研究の第一人者である河合祥一郎氏(東大教授、元・日本シェイクスピア協会会長)によると、この物語は妻子を捨てて出奔し、後に妻の元に戻ったシェイクスピア自身の人生と重なる部分があるそうです。

河合氏は「『冬物語』はシェイクスピアが年老いてからでないと描けなかった物語」と語っています。

久部はマクベス化して、うる爺の事故をはじめ劇団の仲間を傷つけてしまいました。しかし「冬物語」の上演を決めたことは、久部が悲劇の連鎖を乗り越え、仲間たちとの関係を修復し、再生を目指すという希望を示していると読み取れます。

最終回では、この再生の舞台が久部の運命の分かれ目になるのは間違いないでしょう。

もしがくの視聴率3.3%の現在地と豪華キャストの波乱エピソード

豪華なもしがくのキャスト陣と三谷幸喜さんのタッグにも関わらず、視聴率は厳しい状況が続いています。でも、数字だけでは測れない作品の熱量がファンを惹きつけているのも事実。

視聴率の苦戦とファンが語る作品の真価

第6話(11月5日放送)の世帯視聴率は3.3%、個人視聴率は1.9%という結果でした(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

第5話でわずかに視聴率が上昇(3.8%)したのは、裏番組の日本テレビ系ドラマが野球中継の延長で遅れた影響だと報じられています。

放送回放送日世帯視聴率個人視聴率
第1話10/15.4%3.1%
第6話11/53.3%1.9%

※視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。あくまで一般的な目安です。視聴率の数字だけ見ると苦戦しているのは事実。

でも、第5話放送時は『水曜日のダウンタウン』が休止で、日テレ系ドラマも45分遅れという「ライバル不在」状態だったにも関わらず、たった0.1%しか上昇しなかったことから、テレビ局関係者は厳しい見方を示しているみたいですね。

個人的には、このドラマはテンポの速いWeb配信ドラマに見慣れている世代を「足切りにしている」という尖った見方もできるかなと。

三谷作品は、久部のセリフにもあるように「答えは、観客それぞれの中にあるんだ!言葉で説明しちゃ駄目なんだよ!」というスタンスで描かれています。だから深読みするコアなファンが多いのが特徴。

ファンからは「三谷幸喜さんの描く喜劇は恐ろしい。クスッと笑った後でどさっと落とされる」という声も上がっています。

うる爺が久部の軽率な行動のせいで重傷を負い、久部が責められる展開は、まさにその「恐ろしい喜劇」を体現していると言えます。

リカVS樹里のバトルと生田斗真サプライズ登場の裏側

終盤に向けて、もしがくのキャストたちの人間関係もヒートアップしています。

第6話の打ち上げ会場では、久部の芝居に心打たれTO(トップオタ)へと豹変した巫女の樹里(浜辺美波さん)と、ダンサーのリカ(二階堂ふみさん)がバチバチに対立。

リカは樹里がWS劇場で働く人々を心の中で蔑視していることが気に入らなかったのかも。

二階堂ふみさんが樹里を「もうちょっと勉強しなさい」とガン詰めする姿は、SNSでも「攻撃力高すぎ」と騒然となりました。

そして最大の波乱は、リカの元情夫トロ(生田斗真さん)のサプライズ登場。生田斗真さんは予告なしでの出演で、リカに「よ!」と声をかける危険な匂いを漂わせる色男を演じました。

リカのモチーフであるコーディリア(『リア王』)は獄中で殺害される悲劇的な運命を辿っています。久部の野心(マクベス)と、リカを巡るトロの登場が、物語を悲劇的な方向へと加速させる火種になりかねません。

うる爺(井上順さん)が事故に遭うエピソードでは、井上順さんが「ペーソスあふれる芝居を見せてくれた」と評価されています。久部の暴走と大人のペーソスを対比させることで、三谷さんの描く群像劇の深みが際立っています。

原作と主題歌「劇上」から予測する、もしがく最終回のあらすじ

もしがくの最終回はまだ放送されていませんが、原作小説と主題歌のメッセージを重ね合わせることで、久部が辿り着く最終的な「楽屋」の場所が見えてきます。

蓬莱(神木隆之介)が辿る「三谷幸喜」の道

新人の放送作家である蓬莱省吾(神木隆之介さん)は、若き日の三谷幸喜さん自身がモデル。彼のモチーフは『ハムレット』の親友ホレイショーで、ハムレットの物語を語り継ぐ役割を担いました。

原作小説『劇場ものがたり』では、蓬莱のモデルとなった三谷氏がストリップ劇場でのコントネタ作りを経て、最終的にドラマ脚本家として羽ばたいていく結末が描かれています。

このことから、久部が演出家としての夢に区切りをつけ、破滅的な結末を回避した場合、蓬莱が久部の経験や八分坂の物語を後の世に語り継ぎ、自身は放送作家や脚本家として成功する未来が予想されます。

蓬莱が久部の物語をどう記録するのかが最終回の鍵を握るかも。

神木隆之介さんはボウリングについて熱心に語る姿が「今夜のMVP」と言われるなど、そのコメディ力が光っています。冷静な蓬莱が久部の熱狂をどう記録するのか、私も興味津々です。

久部が掴む「この命を演じきる」という名の救い

YOASOBIが原作小説『劇場ものがたり』を元に書き下ろした主題歌「劇上」の歌詞には、久部の心の葛藤と最終的な覚悟が表現されています。

「焼きついちゃうやらないなんて状態じゃない叫び出してしまいそうなのが誰もがそうだ僕もそうだ」

「救いのない日も物語の一幕だとしたなら」

「いつかこの幕に この命を演じきるのさ」

久部は演劇に全てを捧げた結果、成功(達成)という「世界」の正位置を掴むことはできないかもしれない。

でもこの歌詞は、たとえ救いのない日々や失敗があったとしても、それすらも「物語の一幕だ」として肯定し、「この命を演じきる」という自己肯定感に至ることを示しています。

久部が辿り着く「楽屋」は物理的な場所じゃなく、演劇という舞台から降りて自分の人生を全うする覚悟を決めた精神的な終着点なのでしょう。

それが久部にとっての真の救いになる、という三谷幸喜さんらしい哲学的な結論を期待したいと思います。

まとめ:もしがく最終回のあらすじをネタバレで予想!楽屋の謎とは

三谷幸喜さんと豪華なもしがくのキャスト陣が描いてきた八分坂のドラマは、1984年の青春群像劇というだけでは終わらない。深遠なテーマを私たちに投げかけています。

久部が求める「楽屋」は成功した場所(0番)ではなく、傷つきながらも「この命を演じきった」と素顔に戻れる場所なのでしょう。私たちはこのドラマを通じて、自分の人生の「舞台」と「楽屋」の境界線を問い直されている気がします。

最終回では、八分坂という「ムーミン谷」(三谷氏の喩え)から、若者たちがそれぞれの現実に帰っていく姿が描かれるのかもしれません。

結末の詳細が公開されていない今だからこそ、あなた自身の解釈や予想を深めて楽しむのも最高の贅沢ではないでしょうか。

覚えておきたいポイント
  • 久部はハムレット→リチャード三世→マクベスと変化
  • タロット「愚者」逆位置は未熟さを象徴
  • 「世界」逆位置は未完成の結末を暗示
  • 楽屋とは演劇人が素顔に戻る精神的な場所
  • 「冬物語」は破滅から再生への転換点
  • 第6話視聴率は3.3%と苦戦が続く
  • コアなファンは深読みできる作品性を評価
  • リカと樹里のバトルが物語を加速
  • 生田斗真がサプライズで元情夫役に登場
  • 蓬莱は若き日の三谷幸喜がモデル
  • 主題歌「劇上」は久部の覚悟を表現
  • 久部の楽屋は成功ではなく自己肯定の場所
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