映画「八犬伝」が話題ですね。八犬伝と言えば玉梓の発する言葉が、気になってしょうがありません。あの有名な「我こそは玉梓が怨霊〜」というセリフ。

実は、このセリフ、映画では使われていないのです。え?どういうこと?って思いますよね。
今回は、この謎の「我こそは玉梓が怨霊〜」の意味と、南総里見八犬伝の魅力について、じっくり掘り下げていきます。
- 「我こそは玉梓が怨霊」というセリフの意外な由来
- 南総里見八犬伝の物語の概要と魅力
- 玉梓という人物の背景と怨霊となった理由
- 日本文化における女性の怨霊の特徴
- 2025年公開の映画「八犬伝」の新しいアプローチ
- 八犬伝の結末と物語の意義
怨霊マニア必見!「我こそは玉梓が怨霊〜」の意味を徹底解説
まず、驚きの事実から。

「我こそは玉梓が怨霊」というセリフ、実は原作にも登場しないんです。え?って感じですよね。
このセリフが生まれたのは、1973年から1975年にかけて放送されたNHKの人形劇「新八犬伝」なんです。当時の子供たちに強烈な印象を与え、以来、「八犬伝」を象徴するフレーズになりました。
#私はこのテレビ番組を観て育った
— マヌー (@masahiko3326) January 12, 2025
「新八犬伝」 pic.twitter.com/s3Uwu5S9lu
声優の阿部寿美子さんが演じたこのセリフ、実はかなりハードだったそうです。体力を使い果たすほどの熱演だったとか。そう考えると、このセリフにはすごい迫力があったんでしょうね。
南総里見八犬伝:壮大な物語の始まり
さて、ここで「南総里見八犬伝」について、おさらいしておきましょう。
この物語は、江戸時代の作家・滝沢馬琴が書いた長編小説です。全106巻、28年もの歳月をかけて完成させたという大作なんです。
舞台は戦国時代の安房国(現在の千葉県南部)。里見家の再興と、八犬士と呼ばれる8人の勇士たちの冒険が描かれています。
そして、この物語の発端となるのが、玉梓(たまづさ)という女性なんです。
玉梓:怨霊となった女性の物語
玉梓は、安房国滝田城主・神余光弘(じんよ みつひろ)の愛妾(あいしょう:気に入りのめかけ)でした。美しく、頭も良かったんでしょうね。でも、その美貌と知恵を使って、政治を私物化してしまったんです。
光弘が殺されると、玉梓は犯人の山下定包(さだかね)の妻になります。しかし、定包の悪行を憂いた里見義実(よしざね)によって、定包は討伐され、玉梓も捕らえられてしまいました。

ここで悲劇が起きます。義実は一度は玉梓を許すと言ったのに、家臣の進言で処刑してしまったんです。
最後に玉梓は、「児孫(じそん)まで、畜生道に導きて、この世からなる煩悩の、犬となさん」という呪いの言葉を残して処刑されました。
この理不尽な最期が、玉梓を怨霊へと変えてしまったんです。
「我こそは玉梓が怨霊」の意味を考える
さて、ここまでの経緯を踏まえて、「我こそは玉梓が怨霊」の意味を考えてみましょう。
- 自己主張
「我こそは」という言葉には、強い自己主張が込められています。生前は権力者の愛妾として影の存在だった玉梓が、怨霊となって初めて自分の存在を主張できるようになったのかもしれません。 - 復讐の宣言
「玉梓が怨霊」と名乗ることで、里見家への復讐を宣言しています。玉梓の怨念が、これから物語を動かす原動力になるんです。 - 物語の始まりの合図
この言葉は、南総里見八犬伝という長大な物語の幕開けを告げる合図でもあります。玉梓の怨念が、八犬士たちの冒険を引き起こすきっかけとなります。
つまり、「我こそは玉梓が怨霊」という一言には、玉梓の怨念、復讐心、そして物語全体を動かす力が凝縮されていたんですね。
日本文化における女性の怨霊
玉梓の怨霊、怖いですよね。でも、日本の物語には玉梓以外にも多くの女性の怨霊が登場します。

なぜ、怨霊は女性が多いのでしょうか?
日本の伝統的な文化では、女性は男性よりも霊的な力が強いと考えられていました。また、当時の社会では女性の立場が弱く、不当な扱いを受けることも多かったんです。
例えば、『源氏物語』に登場する六条御息所(ろくじょうみやすどころ)も、光源氏への思いが募って生霊となってしまいます。また、『今昔物語集』には、夫に捨てられた妻が怨霊となって復讐する話も出てきます。
こうした物語には、当時の女性たちの苦しみや怒り、悲しみが反映されているんでしょうね。玉梓の怨霊も、そんな女性たちの代表と言えるかもしれません。
映画「八犬伝」:新たな解釈
さて、2024年10月25日から上映された、映画「八犬伝」では、栗山千明さんが玉梓を演じています。
この映画では、原作や過去の作品とは異なるアプローチを取っているようです。「八犬伝」の物語と、その作者である滝沢馬琴の人生を並行して描いているんだとか。
「我こそは玉梓が怨霊」というセリフ、きっと玉梓の怨念は、新しい形で表現されているのでは・・・。
八犬伝は、Amazonプライムでも観ることができるので是非確かめてください。
映画『八犬伝』をアマプラにて鑑賞。
— 電八△おほ映画・キャンプ好き (@denpachixx) February 9, 2025
『The八犬伝』と物語の筋は変わらないのと、やっと毛野と大角、新兵衛が合流した後が見れるのも嬉しいです。
栗山千明の玉梓、素晴らしい! pic.twitter.com/c6dvV9QalL
玉梓の怨霊についてのQ&A
- Q玉梓の怨霊は、どのように里見家を祟った?
- A
玉梓の怨霊は、一匹の雌狸に姿を変え、里見家の犬・八房を育てました。この八房が後に伏姫と交わり、八犬士の誕生につながります。
- Q玉梓の怨霊は最後どうなった?
- A
原作では玉梓の最後は明確には描かれていません。しかし、八犬士たちの活躍により、里見家は再興を果たします。玉梓の怨念は、皮肉にも里見家の繁栄につながったとも言えるでしょう。
- Q「我こそは玉梓が怨霊」というセリフは、他の作品でも使われている?
- A
このセリフは、NHKの人形劇『新八犬伝』で使われて以来、多くの「八犬伝」の舞台や映像作品で使われてきました。ただし、すべての作品で使用されているわけではありません。
まとめ:「我こそは玉梓が怨霊」の意味
「我こそは玉梓が怨霊」。この一言には、玉梓という女性の悲劇的な人生と、それでも消えない強い意志が込められています。そして、この言葉が南総里見八犬伝という壮大な物語の幕を開けるんです。
怨霊って怖いですよね。でも、玉梓の怨霊を通して、当時の女性たちの苦しみや社会の不条理さを感じ取ることができます。そう考えると、ちょっと見方が変わりませんか?
原作にはないセリフが、作品のシンボルになるなんて、文化って面白いですよね。これも「八犬伝」の魅力の一つかもしれません。
次に「八犬伝」を観るとき、玉梓の怨霊のシーンに注目してみてください。「我こそは玉梓が怨霊」というセリフがあるかどうかに関わらず、きっとその奥深い意味を感じ取れるはずです。
怖いけど、どこか切ない。そんな玉梓の怨霊の物語、みなさんはどう感じましたか?ぜひ、感想を聞かせてくださいね。
追記:八犬伝の最後はどうなった?
さて、八犬伝の最後についてですが、いくつか重要な点が明らかになりました。
映画『八犬伝』のラスト
2024年10月に公開された映画版『八犬伝』では、以下のような結末が描かれています。
- 怨念の正体を現した玉梓に、犬塚信乃が対峙します。
- 八つの玉を使って、玉梓の退治に成功します。
- 戦いの中で現八、大角、小文吾の3人が死んでしまいます。
- しかし、伏姫が降臨し、3人を復活させます。
- 八犬士は再び8人揃い、力を合わせていくことを誓います。
この結末は、馬琴の「正義が勝つ」「善い行いが報われる」という信念を反映しているようです。
原作『南総里見八犬伝』の結末
原作の結末は、映画とは少し異なります。
- 八犬士は里見家のために戦い、敵対勢力を打ち破ります。
- 安房国に平和がもたらされ、里見家は再興を果たします。
- 八犬士はそれぞれの故郷へ戻っていきます。
- 物語の最後には、里見家が最終的に滅亡するまでの歴史が簡単に語られます。
- 八犬士たちは、代が替わるたびに徳が衰えていく里見家を見限って去り、最終的には仙人になったことがほのめかされます。
人間の美徳を描いた物語
『南総里見八犬伝』は、義理と忠誠を重んじる江戸時代の価値観を背景に、戦国時代の混沌とした世の中での人間の美徳を描いた物語です。
八犬士たちの絆や、それぞれの徳を象徴する行動が、物語に深みと感動を与え、多くの読者を魅了し続けています。
この物語は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の話ではありません。人間の複雑な心理や、運命の皮肉さも描かれています。例えば、玉梓の怨念が結果的に里見家の繁栄につながるという展開は、因果応報の不思議さを感じさせますね。
八犬士たちが最後に仙人になったという暗示は、彼らの徳の高さを象徴しているのかもしれません。現実世界の混沌を超越し、理想の境地に達したということでしょうか。
個人的には、この結末には「理想を追求し続けることの大切さ」というメッセージが込められているように感じます。
現実世界では完璧な正義の実現は難しいかもしれません。でも、それでも理想を追い求め続けることに意味があるのだと、馬琴は伝えたかったのではないでしょうか。
- 「我こそは玉梓が怨霊」は原作にはなく、NHK人形劇で生まれたセリフ
- 南総里見八犬伝は滝沢馬琴が28年かけて書いた106巻の大作
- 玉梓は不当な処刑により怨霊となり、物語の発端となる
- 玉梓の怨念が八犬士の誕生につながるという皮肉な展開
- 日本文化では女性の霊力が強いとされ、怨霊も多く描かれる
- 2025年の映画版では原作と馬琴の人生を並行して描く新しい試み
- 八犬伝は単なる勧善懲悪ではなく、人間の複雑な心理も描く
- 物語の結末では、八犬士が里見家を再興し平和をもたらす
- 原作では八犬士が最終的に仙人になったことがほのめかされる
- 「理想を追求し続けることの大切さ」が物語全体のメッセージ